さや香の2本目、見せ算
M-1グランプリ2023決勝の2本目でさや香が披露した「見せ算」のネタは新山さんが喋り続ける独特な形式となりました。内容も、四則演算に新たな計算、五つ目を作ったというもので、数字と数字が出てきてすると両者の関係性から新たな数字ができる、という例を伝えていくというようなもの。何だか中学受験の塾の先生が、説明会で保護者に向けて諭すがごとく(スーツで余計にそう見える)語るその姿は、漫才と言うよりプレゼンでした。
M-1決勝を観て、さや香のこのネタ以外、全体的には今年も楽しめたのですが、結局最大の印象はこのさや香の2本目にありました。そこで、記事にしました。
お客さん置いてけぼりの一人しゃべり
お客さんはみんな面白いものを観たいと思って見ています。期待が大きければその分どうしても落胆は大きくなってしまうものです。今回の僕の最初の感想は、率直に言って苦痛でした。見せ算の話を聞く4分はとても長く、耐え難かったです。以前記事の中で、面白いと思わない場合は意識をオフにできる、というような話を書きましたが、今回は舞台が舞台なだけに流し見もできません。それに批判的な意見を書くならある程度中身を見てからというポリシーも有ることもあって、結局最後まで見ました。
想像するに、思いっきり奇抜なことを考えて、それをみんなの前でやってみようという発想だったのでしょう(この時点ではそうとしか思えませんでした)。となると、そもそも面白いものを作ろうということは考えていないでしょうから、最後まで面白くなるはずはありません。そのまま4分間の拷問のような(これも僕にとっては、です)時間が終わりました。ただ、そのような、「この人たちは優勝する気のない人たちなんだな」という僕の中での理解が完成すると、少し苦痛が和らぎました。
ネタ内容は、1回戦でも敗退しそうなものだったと僕は思っています。当然審査員の票も入るはずもなく、さや香はファイナルラウンド進出組の中では最下位となりました。
見せ算ありきのネタ作り
初めは僕の中で苦痛と困惑があっただけだったのですが、その後情報が増えるにつれ、このことは人気芸人でもスベることもある、ということ以上の話になっていきました。
このネタはM-1決勝が近づいてから思いついたようなものではなく、何度か劇場でかけたこともあったそうです。しかもこのネタが先にできており、これを最終決戦でやることを決めた上でホームステイのネタを作ったそうです。つまり思い切りやってみたいがウケない可能性があるネタが出来たので、それを披露できるだけの絶対にウケそうなものを後から作った、そうしたらファイナルラウンドに行けるだろうからその後そこで一番好きな方のネタをやる、という逆算があったのです。このことはさや香自身が複数の場で語っています。例えばこちらです。
そんな風に、一番面白いと思っていない、いわば滑り止めのようなネタでさや香は決勝のファーストラウンド1位通過ができるのです。全身全霊の力を込めて作ったものが見せ算で、気に入ってないけど一般向けに作ったのがホームステイ。このことを知って、さや香はやはり底知れない能力を持ったコンビだと痛感しました。
しかも、さや香は自分たちでM-1グランプリの前に見せ算のネタを舞台側から映した動画を作っていました。この点も、全て見せ算をやるところまでは計算ずくだったことが伺えます。
劇場ではウケていた
先ほどのニュースの記事では、見せ算は劇場ではウケていて、その上でM-1決勝であれを披露する運びとなったようです。あれを面白いと思えるお客さんって……すごい感性だなあ。別に自分を恥じるわけでもなくその人たちを悪く思うわけでもなく、ただただ、世の中には色々な笑いがあると、これも痛感させられました。
元からそういう人たち? ⸺からあげ4の世界⸺
以前からM-1の敗者復活戦を観ている僕は、一部で話題になったからあげ4のネタのことも知っていました。ネタの中で石井さんが「からあげ!」と叫ぶと新山さんがそれに対応する数字を評価していくという、ひたすら4分「からあげ」と叫び続けるシュールの極致のようなネタです。その時も全く面白いと思わず、今回のように「上に行く気がない人たち」の烙印が自分の中で押されました。
今思うと、新山さんが謎の理論を展開し続け石井さんが振り回されるというのは当時の構造もそうだったわけで、しばらくしてからそのことを思い出して気づきました。むしろこれこそ得意分野、好きなパターンなんでしょうね。
M-1優勝よりも大切なもの
プロの芸人であれば自分たちがやりたいことばかりをネタにできるわけではなく、むしろあまり面白いと思っていないものでも「こう言うものが売れるんだろう」という考えでネタを作ることがあると思います。いわば感受性よりも作戦が勝つ状況です。あると言うよりむしろ、そういうことがほとんどではないでしょうか。
M-1はその後1年間の仕事で呼ばれる人たちが決まる部分があり、どこの芸人も、これで売り込む、という意気込み、M-1に懸ける部分があるはずです。そこでは売れるであろう「商品」が、作り手の作りたいものを思い切り披露できる「作品」よりも前面に出てくる事となるでしょう。大衆のことを考えて売れるものを作る、まずこれが多くの人にできないのですが、これができる人たちであれば商品を作ることを考えるはずです。
そう言った中で、大衆に売れる商品よりも自分たちのやりたいスタイルの作品を思いっきり出せるさや香、そこまでの道筋を計算の上で一年を組み立てられるさや香は本当に凄まじい力の持ち主なんだなと思います。しかもそこまででお客さんの笑いが見せ算についてきていたなら、なおさらあの場で見せ算を出すのは必然だったのでしょうね。
僕はあまり物作りの仕事というのはしたことが無く、特に芸術性が高い、クリエイティビティが求められる仕事に就いている人たちの考えは想像することしかできません。しかし、そこにはかなりの、先程述べたようなジレンマがあるものなのだろうと想像できます。
深まった芸人へのリスペクト
M-1を楽しく観終えて、その中で僕はさや香の見せ算には一つも笑いませんでした。しかし、このネタはクリエイティブな仕事をする人が皆大なり小なり持っている悩みというものを改めて気づかせてくれました。芸で身を立てている全ての人々に改めて敬意を覚え、また次の賞レースが楽しみになった、そんなネタとなったのでした。
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