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浩さんの戦争は終わりましたか?⸺胸をえぐられたゴジラ−1.0のラストシーン⸺

2024/11/072

2024年3月16日追記

ゴジラ−1.0アカデミー賞視覚効果賞受賞おめでとうございます!👏

でも凄いのは視覚効果だけじゃない。内容も素晴らしいんだぜ! 追記終了

ゴジラ−1.0/C観に行った

ゴジラ−1.0/C(ゴジラ マイナスワン マイナスカラー)を映画館に観に行きました。予告編はこちらになります。

また公式サイトはこちらです。16秒(僕調べ)に1回画面が揺れます。巨大生物ゴジラの歩行は人間に比べてゆっくりですね。

映画『ゴジラ-1.0』公式サイト

映画『ゴジラ-1.0』公式サイト

2023年11月3日(金・祝)公開 監督・脚本・VFX:山崎貴

「存在感の有る俳優が沢山出ていて良い映画だなぁ」なんて、ある意味呑気に観ていたら最後、一見不明瞭などす黒いラストシーンに胸をえぐられたので記事にしたいと思いました。この記事は完全なネタバレ記事なのでゴジラ−1.0を観ていない方は読まない事をお勧めします。

ラストシーンまでの流れ

作品は第二次世界大戦終末期から始まります。神木隆之介さん演じる敷島浩一は、戦闘機の優秀なパイロットでした。終戦直前、彼は特攻を命じられます。訓練では比類の無い程優秀であった敷島ですが、絶命を意味する特攻はためらってしまい、戦地に向かうことが出来ませんでした。その過程で立ち寄ることとなった戦地への補給地でゴジラに出会います。ゴジラへの攻撃を部隊から命じられますがまたも恐怖で身動きが出来なくなってしまった敷島は、目の前で味方の軍人達が蹂躙されるのを目の当たりにし、気を失ってしまいます。

目が覚めたら部隊は壊滅しており、深い心の傷を負った敷島は、戦後焼け野原となった東京の自宅に戻ります。そこで、浜辺美波さん演じる大石典子と出会います。典子は明子という名しか分からない赤子を抱え東京を彷徨っていました。明子は典子自らの子ではないのですが空襲のさなかに逃げ遅れた人からせめてこの子だけはと託されたのでした。全てを失った二人が出会い、明子を含めた三人で事実上の家族となっての生活が始まります。敷島と典子はお互い愛し合う様になるのですが敷島の心の傷のため、本当はお互いが望んでいる結婚には踏み切れません。

そういった背景があった中で、ゴジラは東京に上陸し、数万の人々を殺傷します。典子はその時、ゴジラの熱線の爆風を浴び、跡形も残らない程に吹き飛ばされてしまいます。典子の死後、人々は力を合わせてゴジラを倒す算段を立て、敷島はその作戦の中心のパイロットとして加わります。典子の遺影を載せた戦闘機に乗り込んだ敷島は、ゴジラの唯一の弱点である口の中への爆撃に成功、自身も無事に脱出するという任務を全うし帰還するのでした。

実際はここで述べた以外にも敷島の周りには多数人物が登場し、胸を打つのですが、メインのプロットはこの様な形です。

問題のラストシーン

ラストシーンでは絶命したと思われていたゴジラの復活を示唆する描写が有ります。ゴジラの脅威は終わることはない、というメッセージを残して作品は終わるのですが、問題はその前です。なんと、死亡したと思われていた典子が生きていたのです。ゴジラを倒した敷島は典子生存の一報を受け彼女の入院していた病院へと向かいます。爆風で吹き飛ばされたはずの典子は、包帯を一部巻かれてはいるものの大きな傷も無い姿でした。ゴジラ復活のシーンを除けば、ここがラストシーンです。

典子と敷島は抱き合うのですが、映像は少しずつ典子の首元の痣にクローズアップしていきます。痣は人間のものとは思えない不気味な黒い色でうごめき、広がります。それは、災厄の具現化とも言えるゴジラのもたらした何かが典子にも宿ってしまい、彼女を蝕んでいることを密かに伝えるものでした。

僕の初見の感想

残念ながら僕は初めこの映画を観た時、「えー?典子生きてたの?🙁あんなに吹き飛ばされたのに?変な展開だなあ?😗」と思っていました。映画リテラシー皆無マンです。肝心の痣の場面も「吹っ飛ばされたから怪我しちゃったのかなー?でもやけに痣をでっかく映すよなー変なのだなー😗」と感じていました(いやそこで気づけ)。一緒に映画を観に行った奥さんに「痣の異常な動きに気づかなかったの?」と言われてびっくりです。

「浩さんの戦争は終わりましたか?」

作中、敷島は典子に、自分が戦争中特攻に行くのを躊躇し、ゴジラに襲われ、多数の味方を失った過去を告げます。その中で自分の戦争は終わっていないのだと告白するのでした。敷島と典子の再会シーンで典子はゴジラを倒した敷島に「こうさんの戦争は終わりましたか?」と尋ねます。号泣しながら典子を抱きしめる敷島、しかし広がっていく痣…。

痣の異常な広がりは人によって解釈は様々だと思います。人によっては吹き飛ばされた典子の体をゴジラが乗っ取り、今後典子がゴジラになってしまうと考える人もいるでしょう。もしくは、ゴジラになることを表現していたのではなく、放射線を浴びた典子の中で広がる病魔を表現したと見てもいいのかもしれません。

僕はもう少し普遍的に、仮に形式的には終戦の日を迎えたとしても、戦災はか弱き人々を生涯に渡り苦しめるということのメタファーであったのだろうと思っています。いずれにせよまた悲劇が二人を襲うのかと、暗澹たる気持ちになりました。

もしも痣の描写が無かったとすれば、「戦争は終わりましたか?」の台詞、そして抱き合う二人と、この流れからするとようやく光が見えたと解釈される所ですが、痣で解釈は正反対のものになってしまいます。これが山崎貴監督率いるスタッフ一同のメッセージなのですね。敷島の戦争も、典子の戦争も終わる日は来ないのだという事でしょう。

うーん、辛いです😣強いて言うなら典子がしばらく元気なら二人は結婚できて少しやりたかった事が出来るのかもしれませんが…それもできるまでの間に典子が元気な典子のままでいてくれるのか分かりません。浩さん、典ちゃん、一日も早く入籍するんだ、急げ!

そして今日もまたどこかで…

ゴジラは作中、ビキニ環礁での核実験後に怒りに駆り立てられたのか人間への攻撃を活発化させます。また、作中、無茶な戦争を続けた日本の体制に関しての台詞がいくつも出て来ました。ゴジラ−1.0は戦争の悲惨さを随所で訴えており、徹頭徹尾、ゴジラそのものが明らかに戦争のメタファーとして描かれていました。

思えば、日本国内では外国との武力衝突を伴った戦争は大戦後は起きていませんが、世界的に見れば戦争はその後もどこかでずっと続いています。今日でも戦争をしている国のニュースを耳にしない日はないほどですし、思えば日本経済が復興できたのも朝鮮戦争やベトナム戦争での戦争特需と無関係ではないはずです。住む場所によっては身近には感じられないかもしれませんが、地球全体で見れば戦火はほぼ常にどこかで上がっています。

戦時には為政者は守られ、無辜の市民は最前線で戦います。これは時代が変わっても戦争というものが起こる限り変わらないでしょう。そして兵士もそれを支える人々も、生命が危機に晒されるのはもちろんですし、仮に身体が無事で済んでも周囲から見え難い心的外傷が遺る事が稀ではありません。敷島と典子のような想いを抱いている人々が今までもそしてこれからも居続ける、人間の本質が容易に変わらない以上、それは今後も変わることはないだろう⸺これをこの作品のメッセージと僕は受け取りました。戦禍で苦しむ人々が少しでも減る今日、明日を願うばかりです。

メインと関係ないけど一言、安藤サクラ存在感有り過ぎ

メインテーマと関係ないですがどうしてもこれも書きたいポイントです。見出しの通りです。敷島宅の隣に住んでいる、安藤サクラさん演じる澄子さんという方が登場します。この方も戦争で家族を失って、当初は敷島に怒りをぶつけたりするのですが、徐々に明子の世話をしてくれたりするようになっていきます。役の大きさから考えられないほど終始存在感が異次元でした。作中の俳優さんの演技は皆さん大変良かったですし、ゴジラといえばVFXなのでしょうが、見所の一つだと思いました。ホント、マイ「存在感の有る隣の家の小母さん役ランキング」ぶっちぎり一位です。二位以下は今ちょっと思い浮かびません。

最後に

最後に皆さんに言いたいのは一つだけです。こんな記事を読んでいるにも関わらず万一ゴジラ−1.0を観ていない人がいたら観ましょう。2時間5分分の価値は間違いなく有ります。絶対得します。ではまた!